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子どもエッセイ

最近思うこと

2012/06/15

子どもって本当にいろんな子がいて、本当に一人ひとり違います。

もちろん、子どもだけでなく、おとなもそうなんですが・・・(笑

それぞれが様々な個性を持って生まれ、それぞれの人生を歩んでいくわけですが、その人格の基礎を培うのが、乳幼児期です。

おおげさに言ってしまうと、この乳幼児期に、その人の人生が決まってしまうと言ってもいいかもしれません。

乳幼児期に培ったものというのは、後々、直接的・間接的にその後の人生に深く関わってくるわけです。

人間は一人きりで生きていけませんし、永遠に自分の家庭の中だけで生きていけるわけでもありません。

誰かと関わり、家から出て、自分の足で人生を歩いていかなければなりません。

その時に、自分勝手に何でも好きにしていいかというと、もちろんそうではなく、社会のルールは守らないといけません。

要するに、「法律」です。

人をむやみに傷つけたり、誰かの物を盗んだり、気に入らないからと人を殺してしまったり・・・。

法律は、改善の余地はかなり多くあるものの、やはり考えられて作られたもので、基本的に、「他人に迷惑をかける行為」を禁止するものです。

ですから、人に迷惑をかけない・傷つけないことを、ちゃんと乳幼児期に学ばないといけないと思います。

それも、人としての本質の部分で理解するものだと思っています。

ただ、誰にも迷惑をかけずに、誰も傷つけずに生きていくことは、はっきりいって不可能ですよね。

どれだけ気をつけていても、無意識のうちにそういう行為をしてしまうこともあります。

自分なりに気をつけることも必要ですが、もしそういう行為を取ってしまったときに、どのように解決するか、の方が必要ではないかと思います。

その時に、必要になってくるのが、いわゆる問題解決能力ですし、人としての思いやりと受容なのではないでしょうか。

 

うちの園の保育は、よく「自由」だとか(皮肉を込めて)「ほったらかし」だとか言われることが多いのですが、自由があると言う事は、責任も生じるということです。

責任ある行動がきっちりできることではなく、

「自由を得ようと思えば、責任もついてくる」

ということを経験し、そのことを学ぶ時期だということです。

そして、その概念を取得する方法は、子どもによって違うのです。

ですから、それぞれの子どもに合った保育を心がけることが必要になってきます。

 

子どもの意志や個性を無視して、責任ばかりを押し付ける保育では、(理解できる子どもも0ではないと思いますが)子どもの中に、本質的な責任の概念は入ってこない気がします。

要するに、マニュアルとして入っているだけ、ということの気がしてなりません。

 

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