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子どもエッセイ

いじめ

2012/07/10

皆さんテレビなどのメディアで周知のことと思いますが、ここのところ、大津市の中学生の自殺の件で、いろんなことが分かってきています。

具体的ないじめの内容や、加害者側の少年達の氏名や素行などもネット上に出回っていて、見ることもおぞましいようないじめの内容が明らかになってきています。

よくもまぁ、ここまで残酷なことができたものだと、人間の「悪」の部分を目の当たりにさせられた感じが拭えない事件です。

その現場を見たわけでもないですし、身近な話でもないので、真実がどうなのかは、私にはわかりません。

メディアによる情報が100%正しいものでもないと思っています。

ですが、あまりにも隠蔽工作の匂いがプンプンします。

被害にあった子どもが自殺する前に、まわりのおとなは何かできたはずです。

人一人の命はそんなに軽いものではないです。

人間である以上、完璧な人間はいませんし、それぞれいい所も悪いところもありますが、今回の出来事は、あまりにも常軌を逸している気がします。

 

個人的には、いじめは大嫌いです。

まぁ好きな人はいないと思いますが・・・。

いじめほど、陰湿なものってないですよね。

いじめの方法は、学ばないと知りえないものです。

じゃあ誰が教えてるかといえば、「おとな」なんですよね。

身近な例で言えば、学校などに対しての陰湿なタイプのクレーム。

これも十分いじめだと私は思っています。

学校の先生は特に、義務教育の期間に当たるので、現代ではどうしても保護者よりも立場が弱いと思われています。

それに加え、現代の保護者の世代が昔の教師に対していいイメージがないため、それに対しての復讐の意味も込められていると思います。

実際、私自身も、学生時代に「いい先生」だと思える教師にはほとんど出会っていませんから。

ですが、それをそのまま、今の時代に当てはめて、教師に必要以上にクレームをつけるのは、そのまま自分の子どもに、「自分を正当化して相手を責める」ことを学ばせている気がします。

もちろん、明らかに学校側がおかしなケースもありますから、意見をするのは必要だと思っています。

ですが、その意見の方法が、声を荒げたり、脅したり、要するに、話し合う姿勢ではなく、意見のごり押しになってしまうと、子どもはそれを学びます。

そして、「話し合う」ということは覚えません。

これはそのまま、お店などでのクレームにも当てはまりますよね。

「お金払ってるんだから」

というのは、日本人がよく使うフレーズです。

では、お金さえ払っていれば何をしてもいいんですか?

お金よりも、人としてのあり方の方が重要ではないでしょうか?

たまに見かけますが、お店などで店員さんに声を荒げて偉そうに文句たれてる悪質なおとないますよね?

悪質な場合、ああいうの見ると、ハッキリ言って周りの人は迷惑で仕方がないです。

子どもにはまず見せたくないおとなの姿です。

怒鳴らずに話すことってできないんでしょうか?

言ったモン勝ちですか?

かっこいいと思ってるんでしょうか?

自分よりも立場の弱いものへのおとなの行動は、子どもは学習するものです。

 

今回の事件は、私は個人的に、まわりのおとなが原因だと思っています。

加害者の子ども達がした行動は、人として本当に最低な行動です。

ただ、その加害者の子ども達は、ある意味、まわりのおとなの被害者でもあると思っています。

人としてしていいこと・わるいことの区別を学ぶ機会に恵まれなかったのでしょう。

まわりのおとなが原因ということは、つまり、これまでの教育の劣悪さによるものでもあると思っています。

 

 

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