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子どもエッセイ

当時の保育

2012/08/20

本当の保育と現実の保育とのギャップについて連日UPしていますが、私が勤め始めたときのうちの園も、ご他聞に漏れず・・・という状況でした。

園内での保育者同士の派閥や子どもを集団でしか見ない保育、「こうあるべきだ」というおとな主体の考え、勤務年数や経験が長いというだけで偉いとされる人間関係。

ただ、これはその当時の保育者が劣悪だったわけではなく、日本という国の保育がまったくもってダメダメだったというところにあると思っています。

それに加え、それらの保育者が受けてきた教育もダメダメだったことも大きな原因のひとつでもあります。

特に、私が育った次代は、赤ちゃんブームだとか謳われた時代で、子どもの数はとにかくたくさんいましたし、まだまだ戦前戦後の軍事教育を引きずっている時代でもあった上に、学歴社会でもあったので、ただ単に知識を植えつけるだけの教育でした。

「ひとりの人間」としての教育ではなく、「集団として動ける人間」を育てる教育を施されていたわけですから、それを当たり前に育ってきたおとなが、「ひとりの人間」を育てる教育を行えるわけないですよね。

おとな主導で動かす保育が、その当時では当たり前だったわけですね。

ですので、その当時の保育者は、真面目に取り組んでいたわけです。

ただ、過去10年で、保育も大きく変わり、厚生労働省の保育所保育指針では、「ひとりひとりの子ども」という文が、あちこちに明記されるようになりました。

そのことで、保育の見直しをしなければならなかったんですね。

ただ、保育を変えるか変えないかは、それぞれの運営主体に任されている部分が多く、要するに、その施設の施設長なり理事会なりが、保育を変えようと思わなければ、いつまでたってもそのままなんです。

いまだに、上から物を言って子どもを押さえつけたり、子どもを集団としてしか捉えないだとか、子どもを「何もわからない無知な生き物」だとか思っている園も、日本には数多くあるのが現実です。

これから保育者を目指す人や、若手の保育者さんは、そういうところにギャップを感じることと思います。

特に、保育者って、最初に勤めた園しか知らないということも多く、その園の保育に失望して保育者を諦める事もおおいんですね。

ですから、世の中には自分に合った園がどこかに絶対あるんだってことを覚えていてほしいと思います。

一つ目の園がダメだったからと、次に勤める園が同じとは限りません。

若手が夢を諦めるような園にだけはなりたくないものですね。

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