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子どもエッセイ

学ぶということ

2013/11/01

学ぶというと、いわゆる「お勉強」であると考えられるのが一般的です。

確かに、「お勉強」も学ぶことです。しかし、それ以外にも、人としてのあり方や他者との関わり方を自分の中で培っていくことも学ぶとういうことです。

そして、その「学ぶということ」は、子どもにとって「教えてもらわないといけない」と考えられがちです。

しかし、子どもにとって何かを学ぼうとするとき、そこに大人の思いだけでは、学べません。

そこには、子ども自らの意欲や、自ら関わっていく姿勢(自主性)、自らが決定し関わっているという姿勢(主体性)がないと、表面だけの知識としてしか子どもの中に残りません。

特に、意欲いわゆるやる気があるのとないのでは、同じ物事を学ぶにあたって、ずいぶんと差が出ます。

子どもはおとなが注入してあげる生き物ではなく、自らが自発的に発達していく生き物です。

そのあたりを捉え間違うと、子どもが自ら決定したことを「ただのわがまま」だと一蹴してしまうことになります。

子どもが「○○したい」と言ったとき、その理由や意図を汲み取らないといけません。

なぜなら、それはその子が自ら発達しよう、学ぼう、としている姿だからです。

それを頭ごなしに否定してしまうのは、本当に勿体無いことだと思います。

勿体無い上に、ヘタをすれば、子どもの発達を阻害したり、意欲をなくさせたりすることにもつながります。

少し下がって、子どもをよく見てみると、おとなも今まで距離が近すぎて見えなかったことが色々見えてくると思いませんか?

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