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子どもエッセイ

人類の進化

2016/10/01

人類はすさまじい進化を遂げて現代を迎えています。

遠い過去には哺乳類も存在しなかった地球上で、他の動物に比べ種としての総数も多く、手にした文明も技術も類を見ないほどです。

かつては恐竜が地球上の覇者といわれていましたが、隕石なのか氷河期なのかが原因で、絶滅してしまいました。

哺乳類はその後、誕生し、どんどん進化して現在のヒトとなるわけですが、現在のヒトは、ホモサピエンスという種に分類されます。

ヒト型の種は、他にもネアンデルタール人やホモ・エレクトスなどの種もかつては存在していたそうです。

しかし、それらの種は絶滅してしまい、現在のホモサピエンスのみが生存しています。

絶滅したか残存したかの違いは、「協力」の有無だったそうです。

他者と協力し、互いに補い合いながら様々な困難を耐え忍び、切り抜けてきた種が、ホモサピエンスだといわれています。

つまり、協力することができた種だけが、生き残り、進化を遂げてきたのだということです。

ですから、本来、私たち現代人にも、生得的に「他者と協力する」という遺伝子が組み込まれているはずなのですが、現代社会はどうでしょう?

日本にも「おたがいさま」という言葉があるように、困ったときは互いに支え合う姿勢があったはずです。

ところが、最近は、困っている人や立場が弱い人を蔑ろにするような風潮が見聞きされますね。

逆に、「自分は弱者」だから、「他者からの恩恵に与って当然だ」というような一般的には煙たがられる態度もありますね。

なぜ、ここまで両極端なのでしょう?

どちらも譲歩すれば、互いに気持ちよく関係性が保てるはずなのに、ここまで両極端だと相容れるはずがありません。

このような状態では、協力どころか、憎み合うことにも繋がりかねません。

それだけ現代人に余裕がないのでしょうか。

自分のことだけで精いっぱい、という現代人が多いのでしょうか。

ひとりひとりは「悪い人」ではないはずなのに、ちょっとした余裕のなさが、こういった状況を生みだしてしまっているのでしょうか。

一説では、長い歴史をもつ地球上で、ホモサピエンスの時代はさほど長いものではなく、むしろまだまだ短い方で、いわゆる「社会性」そのものがまだ未発達で進化の途中であるといわれています。

今後、人類が地球上で生き残っていくために、「協力」という言葉がキーワードになるのではと思っています。

極端に言えば、それができない人類は、滅亡へ向かっていくしかないのではないでしょうか。

 

他者と協力することよりも他者と競い合い蹴落とすことを重視していた時代を生きてきた人たちが大人になり、自分の子どもにも同様のことを求め、他者を思いやったり、相手の立場になって考えたり、誰かに手を差し伸べたり、そういったことよりも、自分のことだけを優先するような教育を施されれば、それで育った子どもたちは一体どうなっていくのでしょうか?

確かに競争は大事なエッセンスだと思います。

ライバルがいることで、自分を高めようとするモチベーションにも繋がりますし、ライバルから学ぶことも多くあります。

競争することそのものを楽しみ、結果によっては達成感を味わったり、逆に敗北感を味わったりして、それを今後に生かしていくことは、人間性を深めるためにも大事なエッセンスではあると思います。

しかし、勝つためには手段を選ばないような、他者を蹴落としたり陥れたりしてまで結果に拘るとなると、話は違ってきます。

ただし、結果だけで親やまわりのオトナに判断されていれば、子どもは手段は選ばなくなるとは思います。

だってそうしないと、自分を受け入れてもらえませんからね。

どんな子どもだって、親や身近な大人には受け入れてもらいたい、認めてもらいたいと思うものです。

叱咤激励の意味でのおとなのそういう態度なら、いつか理解する日も出てくるかもしれませんが、最近の風潮ですと、子どものための叱咤激励というより、自分の体裁や世間体のために動いている大人が多い気がします。

そんな状況で、「協力」という概念なんか身につくわけないですよね。

ただ、生き方はそれぞれですし、価値観もそれぞれですから、どれが正解っていうのはないのでしょう。

自分に合った生き方をすればいいと思うんですが、他者を蔑ろにしてきた結果、孤独になったって文句は言えませんよね。

私としては、今の子どもたちに孤独になってほしくないので、できるだけ他者と協力して生きていく方法を学んでほしいと思います。

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