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子どもエッセイ

集団のありかた

2017/12/06

連日のインクルージョン(inclusion)、コーヒージョン(cohesion)は、集団の形やあり方です。

その他に、イクスクルージョン(exclusion)、インテグレーション(integration)という集団の形があります。

イクスクルージョンは、年齢や障害の有無、目で見える形での様子や形で区分し、区分ごとに別々にした形です。日本における年齢別の就学や学年制度、障害児のみを集めたクラスなど、これにあたります。ちなみに、この集団の形は、多くの先進国では多大なる差別とされ、ほとんど見られません。

インテグレーションは、保育においては「統合保育」と言われる形で、年齢や障害の有無などで区分するのではなく、みんな一緒に同じように一緒にすることを前提とした集団の形です。一見、差別がないように見えますが、個々の個性や習熟度などは一切無視して、まったく同じことをやらせようとするわけですから、本来の平等の意味とはかけ離れています。まだ多くの教育現場や社会のあり方がここに近い形ではないでしょうか。

上記の2つのあり方から一歩進んだ形が、インクルージョンとなります。

個々の個性や習熟度などに応じて、基本は一緒に過ごしますが、必要に応じて、それぞれの発達や状況に応じたあり方を柔軟にとっていきます。

療育や病院受診などが必要であれば、その時は集団から抜けて自分に合った時間を過ごし、大きな集団に疲れたときは、一人でゆっくり過ごす、など、個々の状況に応じて臨機応変に集団の形が変わっていきます。

日本では、社会においても一部の企業ではいち早くこれを取り入れており、働き手の特性に応じた仕事内容で会社に貢献してもらうという形を取っている企業も増えてきています。教育現場においても、例えば、小学校の通級指導などはこれにあたりますが、まだまだ目の前の子どもの特性に応じた内容よりも、年齢の枠に目の前の子どもを当てはめようとする内容に固執したものであるのが現状です。就学前の教育現場では、療育や病院受診などのシステムは定着してきましたが、年齢で就学させなければいけないシステムに拘っていて、なかなか個々の子どもの発達に応じた教育を受ける権利が保障されていません。

そして、昨日UPしたコーヒージョンですが、これが、次年度からうちの園で目標とすべき形です。

個々の特性や価値観などに応じて、区別されることなく、自発的に子どもたちが自分の状況や発達に応じた集団を作り、個と個、集団と集団が結びついたり協力したり、時にはぶつかったりしながら、互いに妥協点を見つけ折り合いをつけ、受容していき、共に成長する、そういった集団の形です。

こういった姿を目標とするためには、まずは身近な大人がそのあり方に理解を深め、互いに補い合う姿がないといけません。同時に、子どもたちへ対して、おとなの価値観や指示で集団を作るのではなく、いかに個と個を結びつけることができるような環境を整えるか、も大事になってきます。

 

近年、赤ちゃんや子どもの泣き声を騒音という身勝手な大人が増え、中にはベビーカーに乗っている赤ちゃんを直接攻撃するようなおとなや、ベビーカーを持って電車に乗りこむことに舌打ちをしたり怒鳴ったりするおとなが増えています。

発達障害を抱える人々を、馬鹿にして自分の立場を守ろうとしたり、自分より立場の低い人間に暴言を吐いたりすることでストレス解消したりするおとなもいます。

もちろん、そういったおとなばかりではありませんが、そういったおとなが目立つようになってきたのも事実です。

個人的には、そういった対応をするおとなに何らかの精神的な疾患や発達上の課題があるような気がしますが、そういった一連のことも、そのおとながこれまでの人生で受容された経験をしてきたのかどうか、も大きく関係していると思います。

誰かを受容することを経験していない人が、いきなり受容できるわけはありませんから、ある意味、起こるべきして起こっていることとも言えそうです。

こういったおとながもっと幼いころからコーヒージョンの考え方を経験していれば、もっと違った形になったのではないでしょうか。

コーヒージョンに関しては、日本だけでなく、多くの先進国の課題でもあるようです。

人類が今後も変わらず生き残っていくためには、受容と協力は必須事項のようです。

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