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子どもエッセイ

改革

2018/02/24

 近年の子どもを取り巻く制度の改革は目まぐるしく、次年度の4月からは、新しい保育所保育指針が施行もされます。時期を前後して、小学校の学習指導要領、幼稚園教育要領も新しくなり、教育の3本柱として、保育園、幼稚園、子ども園の指針・要領は一言一句違わないまったく同じ内容となります。その教育の3本柱が、小学校へ就学してからのアクティブラーニングへ円滑につながっていきます。

 国が抱える大きな課題のひとつである待機児童問題も、まだ解決には遠く、あの手この手で国は制度改革に取り組んでいます。

 あわせて、保育士の確保の難しさもあり、保育士の処遇を改善することで保育士確保に取り組んでもいます。

 細かいところで言えば、感染症に関して、事故防止に関して、アレルギー対応に関して、虐待防止に関して、発達障害者・児に関して、等々、様々な関連法令の制定や改定、ガイドラインの策定も行われています。

 少子化に伴い、子どもにかける目と手が増え、意識も高まってきていることの証でもありますが、同時に、これまでの子ども像とは違った、現代社会の子ども像も浮かび上がってきます。子どもは時代に即して変化していきますが、大人はその変化になかなかついていけません。これはいつの時代も同じなのかもしれませんね。

 例えば、体罰ひとつにしても、体罰や暴言を継続的に受けてきた子どもは、脳の様々な部位が萎縮し、機能低下を引き起こすことを、厚生労働省が「愛のムチゼロ作戦」と称して啓発に取り組んでいますが、いまだに体罰容認派も多く、精神論ですませようとする大人が多くいます。

 私個人は、体罰には反対です。体罰によって得るものの方が現代では少ないですから、これほど非合理的なことはありませんし、何よりも子どもの人権を無視したものですしね。私から見ると、体罰容認派のおとなの多くは、「思い通りに子どもが動かないことへ対してのいらだちや自身のストレスのはけ口」として、さも「子どものため」というずるい口実で行っているとしか思えないんですよね。

 もちろん、中には、本気で子どものためを思って手を挙げている人もいるのかもしれません。しかし、体罰容認派の人とよくよく話してみると、やはり矛盾することが多かったり、子どもよりも大人の方が優れている、との価値観が見えてきます。そして、大人の「孤独」が見えてきます。

 体罰がダメだ、ということは正しいことですが、ただ単純に体罰禁止、と騒ぐだけでなく、体罰に潜んでいる大人サイドの問題解決に取り組んでいかないと、いつまでも体罰、虐待はなくなっていかないでしょうね。

 育児に関しては、家庭によってその価値観は様々ですし、正解も不正解もないと思います。

 ただ、親がやってきたことが結果として出るのは、後々になってからです。その時に責任逃れをしない覚悟だけは、どの親にも持っていてほしいと思います。

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