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子どもエッセイ

義務教育期間の留年

2012/02/22

大阪市長が大阪市教育委員会に、小中学校の間の留年を打診する旨の案を提出したそうです。

「みんな一緒」が当たり前とされる日本で、とても勇気のある発言だなぁと思います。

というのも、子どもの学年や進級を年齢で区分するのは、先進国では日本くらいのもので、先進国では、基準となるのは子どもの年齢ではなく、「発達」だからです。

子どもの発達の順序というのは皆一緒ですが、そのスピードは様々で、早い子もいれば遅い子もいます。

極端な例を挙げれば、例えば同じ6歳でも、走ることもできれば飛びはねることもできる子どももいれば、歩くことはできても走ることはまだできない子どももいるわけです。

ですが、日本の場合、子どもの発達がどうであれ、その年齢が来れば無理やり小学校へ入学させます。

そして口を揃えて言うのが、「6歳にもなって〇〇ができないのはおかしい」とくるわけです。

おかしいのは子どもではなく、子どもの発達を理解していない周りのおとなです。

 

欧米では、当たり前のように、留年や飛び級があります。

9歳になっても就学前の保育所などですごす子もいれば、5歳でも小学校へ入学する子もいます。

そして、多くの保護者は、小学校入学を少しでも遅らせようとします。

「うちの子はまだそこまで発達していないから」

との理由です。

日本では、きっと真逆でしょうね。

「差別だ!」

とクレームの嵐かもしれません。

 

おとなが子どもを見る姿勢の違いで、子どもがそのままの自分を受け入れられるかどうかが決まるのですが、日本のおとなたちは子どもの発達なんかお構いなしですね。

年齢や生まれ月に囚われて、それを基準にするあまりに、子どもをきちんと発達させようという本来の目的から大きくずれてしまっているように感じます。

子どもの発達をきちんと保障するというおとなの義務は一体どこにあるのでしょうか?

子どもが自分なりに発達していこうとすることを邪魔することは、虐待と言っても過言ではないと私は思っています。

そう考えると、日本の教育は、子どもひとりひとりが自分なりに発達していこうとすることを保障するような学校教育は行っていない気がします。

まだできないことを、年齢の枠だけで子どもを見て、無理強いしているわけですから、これは、国連が採択している「子どもの権利条約」に見事に違反しています。

 

「みんな一緒」がいいということは、一見、差別などがないように聞こえますが、私は逆だと思います。

「みんな一緒」でないと、いじめや妬みの対象になるのがこの日本という国ではないでしょうか?

そんなにみんな一緒がいいのでしょうか?

それならば、ロボットを量産すればいいだけの話です。

 

もっと真剣に、そして専門性をもって、子どもの発達のことを国として考えてほしいと思います。

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