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子どもエッセイ

アルベルト・アインシュタイン

2012/08/09

1945年8月9日、広島に続き、長崎にも原爆が投下されました。

皆様もご存知の通り、広島同様、長崎でも莫大な被害が出ました。

70年近く経った今でも、2次的な被害に苦しむ方が多くいるのが現状です。

決して目を逸らせてはいけないことなのではないかと思います。

長崎への原爆は、世界で広島に続く2発目の原爆でした。

マンハッタン計画により、原爆の開発と製造が進められ、完成したものです。

一部では、「アインシュタインが原爆の理論を発見した」あるいは「アインシュタインが原子爆弾の開発者である」という誤った思いこみが存在しています。

彼が発見した質量とエネルギーの関係式は、あらゆるエネルギーについて成り立つ式であり、特に原子力に関係した公式ではないのですね。 また、アインシュタインは原子爆弾製造に関しては一切関与していません。

アインシュタインと言えば、舌を出したひょうきんな写真が有名ですが、人前で笑顔を見せることはほとんどなかったそうです。

第1次大戦中は、平和活動に勤しみ、公然と戦争批判を行っていたそうですが、一転、第2次大戦中には、戦争を正当化するような発言を行ったという記録も残っています。

どうしてそのような正反対の立場に立ってしまったのか、今となっては分りませんが、きっと何かしらの出来事があったのでしょうね。

手紙魔だった彼の、残された手紙を紐解けば、その辺も垣間見れることができるかもしれませんね。

 

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