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2016年 7月

合理的配慮②

2016/07/11

前回のブログで触れた合理的配慮ですが、行政や事業所、学校など社会全体へ可能な限りの義務が生じました。

保育所で言えば、例えば、車いすを使用する児童のために、本人が望むならば、バリアフリー化や、必要があればトイレにオスメイトを導入する、などの配慮が求められます。

他にも大きな集団や大きな音などが苦手な子どものために一人もしくは数人で過ごせる場所を設ける、言葉による指示が通りにくい子どものために、手順や先の見通しを写真や絵で掲示する、アタッチメントの対象物が必要ならばその所持を認める、空間認知が苦手な子どものために、スペースを広く保つ、所持品を写真つきなどでわかりやすくまとめる、などなど。

これらは、うちの保護者ならば、すでに日々目にされていることですね。

今回施行された法は、合理的配慮が注目されがちですが、実は、施行にあたっては、一番重要な「インクルージブ」の考え方がベースになっています。

これも、うちの保護者ならば、すでに経験済みですね。

HPにも記載のある「インクルージョン保育」です。

これは、障害のあるなしに関わらず、同じ空間、同じ時間、同じ環境で過ごし、個々の発達や特性に応じて本人の意思によって過ごせる環境を整える保育のことです。

これまでは、障害のあるなしで、過ごす部屋や環境を「大人が」主体となって決めてカテゴライズしてきました。これを、子どもを主体として、子どもが自己決定ができる環境をととのえることで、インクルージョン保育が可能になります。

簡潔に言えば、「障害があろうとなかろうと、誰もが過ごせる環境を整えなさいよ」というのがインクルージブな考え方です。

この考え方がベースにあっての法です。ですから、そこには合理的配慮が不可欠になるわけです。

ベースとなる考え方を理解しないまま、合理的配慮だけに注目しようとすれば、おとなはただ混乱するだけです。

実際、今回の法が施行され、混乱しているのは現場のようです。

特に学校現場の混乱が顕著に感じます。

 

いまさら言っても仕方ないんでしょうが、インクルージブな考え方は、今に始まったことでなく、もう10年も20年も前から言われていることです。

環境を変える機会はたくさんあったはずです。

なのに、なんで動かなかったんでしょう?

どうして取り組もうとしなかったんでしょう?

これは、何も現場の職員だけの責任ではなく、国が子どもにお金をかけてこなかったツケとも言えます。

先進各国と比べ、子どもへかけるお金の極端な低さは、世界的に有名な日本ですから、結果として、次世代を担っていく子どもたちへの教育がおろそかになってしまっているわけですね。

子どもたちへの教育をおろそかにすると、国の存続に影響があることくらい、考えたらわかることなのにね。

そして、世界的にはすでにインクルージブな考え方の一歩先をいっています。

それはコーヒージョンという考え方で、「障害のあるなしに関わらず、いかに人と人とを結びつける環境を整えるか」というものです。

一昔前の言葉でいえば、「どうWIN-WINの関係をつくっていける環境を整えるか」ともいえます。

これは、うちでも大きな課題のひとつです。

 

合理的配慮①

2016/07/01

2016年4月より、通称「障害者差別解消法」(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)が施行されました。

これは、障害を抱える人が、自分の特性に応じた配慮を受けることができるための法律です。

この法律の施行によって、行政や事業所、学校などは、可能な限り、各個人の障害の特性に応じた配慮を行わなければならない義務が生じました。

配慮といっても、本人が求めていないものを提供するのではなく、本人が求めているものを合理的に提供する、いわゆる合理的配慮になります。

これまでの「弱者」としての取扱ではなく、「本人の意思表示による配慮」です。

一般的に「障害」といえば、ほとんどの方が、「かわいそう」だから「手伝ってあげる」といった感情を持って手を差し伸べます。

当事者が望んでいるいないに関わらず、です。

そこで、当事者が声をあげました。

「私たちのことを私たち抜きで決めないで」と。

もっと主体的に自分の生き方を決めたいと、誰もが思います。

それは障害のあるなしに関わらず、です。

そこで、国連総会で「障害者の権利に関する条約」が採択されたわけです。

日本も様々な法整備を整えた上で、2014年に批准し、今回の法の制定・施行になりました。

もっと具体的に説明すると、合理的配慮により、いわゆる「社会的障壁」をできるだけなくしていこうとする法律です。

社会的障壁というと、難しく感じちゃいますね。

要するに、個人の心身の機能障害だけでなく、社会の制度や環境が障壁となって、その人の生活に障害をもたらしているもの、をできるだけ世の中でなくしていきましょう、ということです。

これまでは、身体的な障害を持つ人々への配慮ばかりが表立っていましたが、ここに「機能障害」が含まれるわけですから、いわゆる「発達障害」も含まれます。

例えば、コミュニケーションが苦手な人が、カードや文字盤などで意思表示ができるように配慮すること(ただし、本人が求めている場合)や、大きな音が苦手な人や視野が広すぎると混乱してしまう人へ対して、イヤホンや低い壁・サングラスなどの着用を認めること(ただし、本人が求めている場合)などが具体的な合理的配慮として挙げられます。

しつこいようですが、「本人が求めている場合」です。

日本人は優しくて気配り上手な人が多いので、本人の意思<やってあげたいこと、となる人が多いのですが、本人が求めていないのに、配慮する側の思いだけで行動してしまえば、有難迷惑になってしまいます。

ですから、上記の「私たち抜きで~」の一文になるわけですね。

 

日本においては、自己の意思表示=ワガママと捉えられる風潮がまだ強く、なかなか意思表示をしても受け入れてもらえないことが多くあります。

ですが、合理的配慮には本人の意思表示が不可欠です。必ずしも言葉によるものでなくても、人間は何らかの意思を表示しようとします。

それを頭からワガママであると決めつけてしまうような日本の風潮は、合理的配慮をできる環境であるとはお世辞にも言えません。

合理的配慮ができるようになるまでに、長い長い道のりを歩まないといけないでしょうね。

まずは、そこの基本的な概念から身に付けなければならないのが、現状です。

 

ほんと、何が先進国なんだか・・・(笑)。

 

 

 

 

 

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