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子どもエッセイ

「できる」ということ

2012/08/24

おとなは、子どもが何かを「できる」ということにすごく敏感ですよね。

逆に言えば、「できない」ことにも敏感なんですが・・・。

確かに、何かが「できない」よりも「できる」に越したことはないかもしれません。

ですから、「できる」ようになることはとても大切なことなんですが、どうも世の中の風潮として、その子どもの発達は無視して、できるだけ早くから何かを「できる」ように詰め込む、いわゆる歪んだ早期教育が流行している気がします。

子どもにはそれぞれ、自分なりの発達の速度があります。

そして、発達の進む方向は、どの子どもも一緒ですので、いずれ発達していきます。

それを待てないおとなが多いのと同時に、子どもをおとなのプライドを維持するための「物」としてしか位置づけできないおとなも多いのが悲しいですが、現実です。

確かに、子どもが何かが「できる」と、目に見えて結果が分かりますから、おとなの満足度を充足しやすいのでしょうが、極端に言えば、子どもは詰め込めば何でもできるんですね。

ただ、重要なのは、その「できる」ことが、子どもが自主的に自分の考えで主体的に関わった結果「できる」ようになったかどうかです。

おとなを満足させるために「できる」ようになったことは、得てしてその内容を理解しないまま表面的な知識を身につけるだけで、応用力や柔軟性に欠けることになってしまいます。

しかも、乳幼児期にはできていたのに、就学してから急にできなくなった、ということもしばしばです。

これには、いくつか理由があって、上記のように、その本質を理解せずに表面的な習得であることや、運動などに関しては、幼児期と就学してからの使う筋肉が違ってくることなども、関係しています。

脳機能の観点からも、脳が右肩上がりに発達していくのではなく、不必要なものを削りながら発達していくものなので、就学以降に、脳の中の不必要な部分を削った結果、できなくなるということにもつながるわけです。

よくいう、「就学時で頭打ち」というのは、こういうことなんですね。

ですから、幼児期に何かが「できる」ということに対しては、注意が必要だと思います。

重要なのは、子どもが「できる」ことではなく、「興味がある」ことなんですよね。

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