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2012年 3月

東日本大震災

2012/03/11

ちょうど一年前の14時46分に起こった東日本大震災が起こりました。

今日は日曜日ということもあり、東日本の各地で追悼式が行われました。

今回の大震災の傷跡は、1年経った今もまだ消えず、2次的3時的な被害を起こしています。

過酷な状況の中、日々を一生懸命生きる人がたくさんいます。

私達は、つい目の前のことだけに囚われがちで、テレビや新聞、インターネットで見聞きした出来事を他人事のように受け止め、自分とは無関係だと思いがちです。

確かに現代の日本は、景気も悪く、物はあっても心のどこかに空しさを感じたり、日々疲れきって心の余裕をなくしがちになったり、およそ幸福感とは無縁の状態にあるかのように感じます。

自分が置かれている環境によるのでしょうが、生きるということ、幸せということ、人間であるということ、そういった様々な事をもう一度見つめなおし、今の自分のあり方を考え直すということを忘れてはいけないと思います。

今回、大震災で被害に遭われたすべての方々のご冥福をお祈りすると共に、今もなお過酷な環境の中で日々を送っていらっしゃる皆様に心よりエールを送りたいと思います。

次年度に向けて

2012/03/10

3月も半ばに差し掛かろうとしています。

年度末ということもあって、卒園する子ども達のアルバム作りや卒園式などの準備と同時に、次年度の準備も合わせて進めています。

来週末の土曜日は、平成24年度の入園・進級説明会を行います。

毎年度、年度当初に新規で入園してくる子どもというのはかなり少なく、年度途中からの入園が多いのが昨今の風潮ですね。

そのお陰もあり、園では、だいたい運動会が終わってから年明けくらいまでの間で、徐々に次の年度に向けての移行を行っています。

ですので、新年度を迎えるころには、子ども達はすっかりひとつ上のクラスでの生活に慣れていますので、いわゆる「年度当初で子ども達が落ち着いていない」という現象はほとんどありません。

どちらかといえば、年度当初よりも年度末のほうが、子ども達は落ち着きがないように感じます。

というのも、年長さんの卒園があるからです。

わくわく・わんぱく組さんは、特に年長さんとのつながりが大きく、いろんなところで年長さんに支えられてきたことが多いので、どうしてもこの「お別れの時期」には不安定になってしまいます。

年長さんも、卒園する寂しさや小学校入学への不安・期待でそわそわすることも多くなります。

一見、すごく不安定で、おとなから見ると心配になることもありますが、子ども達は、こういった別れと出会いとを繰り返すことで、それぞれの心の中で、様々な思いを抱え成長していきます。

少しずつ次のステップへ進もうとしている子ども達を一緒に見守って頂けたらと思います。

またまた・・・

2012/03/09

うっかり金曜日の分をUPするのを忘れてました・・・

下書きはWORDでしていて、UP用のページに貼り付けてUPするだけだったんですが、下書きを途中までして保存した時点で、すっかりUPした気になってました(笑

年度末で気が焦ってるんでしょうねぇ(笑

来年度はこういった「うっかりミス」を少しでもなくせたらいいなと思います。

 

 

 

授業風景

2012/03/08

昨日のブログで、教育という言葉の捉え方で授業風景が違うことに触れました。

数年前に、京都のある私立小学校で、オランダのイエナプラン教育者(日本でいうところの小学校教諭である方々でした)が行う小学生へのモデル授業に参加した時のことです。

まず、日本式の理科の授業の後に、オランダ式の理科の授業がありました。

日本式の授業は、先生が黒板の前に立ち、生徒がグループごとに座り、実験をし、その実験結果を発表し、それを先生がまとめて板書する方法でした。

次のコマのオランダ式の授業では、場所を体育館にうつし、ホワイトボードの前に先生が立ちました。

生徒はホワイトボードが見える形で適当に座っています。

そして、授業が始まりました。

先生「エネルギーと聞いたら何を思い浮かべますか」

生徒は、誰も発言しません。

先生「答えを聞いているわけではないから安心して。思い浮かんだことをどんどん発言して」

この一言で、少しずつ意見が出てきました。

最初に発言した生徒が言ったのは、「電池」でした。

先生は、ホワイトボードの真ん中に大きく「エネルギー」と書き、その横に「電池」と書き、エネルギーと電池を線で結びました。

次に出たのは、「地球」でした。

先生は、今度は別のスペースに「地球」と書き、同様に、「エネルギー」と線で結びます。

「太陽」と出れば、「地球」と結びます。

「電気」と出れば「電池」と結びます。

そうやって、出てきた意見はすべて先生によってカテゴライズされながら、エネルギーと結びついていきました。

そして、どの生徒の発言も、否定されることなく、どこかに線で結びついていきました。

 

日本式の授業とあまりにも違うことにびっくりしたと同時に、何ていい授業なんだろうと思いました。

知識を知識だけで終わらせず、理科の授業でありながら、他の教科にも結びつき、且つ、正解・不正解で判断するのではなく、すべての子どもの個性を受容する授業風景でした。

結果的に、発言しなかった生徒は一人もいませんでした。そして、発言を否定された生徒も一人もいませんでした。

言い換えれば、本当の意味で、すべての生徒が授業に参加していたわけです。

さすが、世界の中で、子どもの幸福度の順位が高い国だけあって、教育レベルが高いなぁと、当時は心から感心しました。

あのときの、授業に参加していた生徒達のひとりひとりの生き生きとした能動的に授業に参加している表情は、今でも忘れることができません。

仕事柄、いろんな小学校にお邪魔させてもらう機会がありますが、あれほどすべての子ども達が素晴しい表情で授業に参加している風景を、未だに日本では見た事がありません。

教育

2012/03/07

今後、展開されていく「子ども・子育て新システム」では、幼保一元化が大きな目的となっていますが、それに伴い、管轄省庁や法令、日々の保育のよりどころとなる指針なども随所が変更となってきます。

現時点では、幼稚園は幼稚園教育要領、保育園では保育所保育指針を最低基準として日々の保育に当たっているわけですが、この指針も、一元化へ向けて「子ども指針」(仮称)へと変わります。

この子ども指針では、これまで保育所が担ってきた部分を養護とし、幼稚園が担ってきたものを学校教育と表記されるようです(あくまでもおおまかに言えば、の話です)。

本来、「保育」とは、「教育と養護が一体となったもの」であるのに、わざわざここにきて、養護と学校教育とに分けた意味がまったく分かりません。

まぁ、このあたり、いわゆる「おとなの事情」とやらが絡んでいるんでしょうね。

こういったつまらない大人のプライドが、今後の現場の人間を混乱させることに繋がるんですけど、そういったことは、お構いなしに進めていくあたり、本当に子どものことを考えているのかと疑問に思います。

 

ちなみに、「教育」とは、日本では、「教えてはぐくむもの」と書きます。いわゆる先生と呼ばれる人が、生徒に一方的に何かを教え、育てていくという意味です。

世界での共通語のひとつである英語では、educationが日本語で言うところの教育に当たるのですが、これはそもそも、ラテン語の「能力を外へ導き出す」(ラテン語ductus(外へ+dcere導く+-ATE1=能力を導き出す)ところから来ています。

ですので、何かを教えこむことではなく、「相手から何かを引き出す」ことが教育にあたるわけです。

この「教育」という言葉の受け取り方の違いは、その国の授業風景にも現れています。

 

ペンギン大脱走

2012/03/06

数日前から、千葉県の葛西水族園から逃げ出したフンボルトペンギンの話題がメディアで取り上げられています。

これまで、全国各地の動物園などから動物が逃げ出すニュースがちらほらとありますね。

動物が逃げ出すと、管理している施設の職員は大慌てで捜索を開始します。

逃げ出した動物が、人間にとって害を及ぼしたり、生態系を変えてしまったりする危険性があるため、警察なども出動しての捜索になります。

施設から動物が逃げ出すたびに思うのですが、小さな檻や敷地から逃げ出したいと思うのは、動物の本能なのでしょうね。

それもそのはずです。動物にとっては、自然での生活が一番合っているのですから。

ただ、施設にいる動物は、人間が管理している施設で生まれることが多く、人間によって育てられた動物は、自然界に帰したところで、生き延びることはできないそうです。

ですので、かわいそうだからと言って自然に帰すことがその動物のためかと言われれば、一概にはそうは言えません。

動物園や水族館など、人間がその動物の生息地に行くことなく、その動物の形や大きさなどを知るためには欠かせないものかもしれません。

人間の知的欲求を満たすための施設であるので、人間からすれば、大事な施設です。

ですが、逆に動物からみれば、本来の姿を奪われ、人間のために人間に管理されているだけです。

人間もこの地球上では、同じ動物です。

地球上にいる様々な動物の中の一種でしかありません。

私たちは日々、そのことを忘れて生きています。あたかも人間が地球上で一番偉い上位の生き物のようなつもりで生きています。

確かに、地球上の生物の中で、一番脳が発達し、社会的な生き物ではありますし、いわゆる高等動物に位置づけられる種であることは間違いありませんが、だからといって、一番偉いわけでも、優先されるわけでもありません。

自然によって生かされ、他の生物によって生かされているのが人間です。

これからの時代、特にそういった原点に返った考えを頭の片隅にでもいいので持って生きていくことが必要不可欠なのではないかと思います。

もうすぐ

2012/03/05

もうすぐ東日本大震災から1年が経過します。

当日は、平日で、園にはテレビがありませんでしたので、まったく何も知らずに夕方のニュースで初めて震災のことを知りました。

テレビなどの映像でも、その凄惨さは想像を絶するもので、すぐに各地の友人・知人の無事を確認したくても、携帯電話も固定電話もつながりませんでした。

時間がたつにつれ、幸いにもすべての友人・知人の無事が確認できましたが、ご家族や友人などを亡くされた方が多くいらっしゃることを思うと、大きな声で喜ぶこともできませんでした。

1年が経過しようとする現在でも、まだ捜索は続き、行方不明者は数え切れないくらい多くいらっしゃいます。

日本は島国で、地震が起きやすいプレートの上に乗っています。

たまたま東日本で起こっただけで、日本全国どこで起こってもおかしくない震災でした。

未だにそれまでの生活に戻れていない方々も多くいらっしゃる中、私たちは何も変わらない毎日を送っています。

そのことで、申し訳ないと思う気持ちもあり、同時に、普段どおりに生活できることの有難さも感じる日々です。

震災に遭われたすべての方々へ心より追悼の念とお悔やみの思いを忘れずに生きていこうと思います。

発表会の後は・・・

2012/03/04

発表会の後は、毎年恒例になっている保護者の皆さんとの懇親会。

今年も例年通り、夕方から懇親会に参加しました。

毎年、保護者会役員会の皆さんが、手配して下さり、懇親会を行ってくれています。

普段はなかなか時間が取れず、ゆっくりと話すことができない他の保護者や園のスタッフと、交流を深める場となっています。

会場の設定や事前準備などでも大変なのに、ビンゴや様々なゲームも用意してくれる上に、景品付きなんですね。

景品は、生活に密着したものが多いのですが、今年はドライヤーやカラーボックスなどもありました。

ちなみに私が頂いた景品は、マヨネーズ(ちょうど切れかけていたので・・・)とアルミホイル(こちらもちょうど切れかけていたので・・・)とジップロックでした。

何気ないものですが、これが意外と助かるんですよねえ(笑

 

懇親会の最中は、いろんな保護者の方とお話できるのですが、あるお母さんとお話していて、このブログや園のスタッフのブログを毎日楽しみにして下さっているとのこと。

見て下さる方がいると思うと、恥ずかしい反面、やはり大きな励みになりますね。

まだまだ勉強不足な私たちですが、みて下さっている皆さんに少しでも元気と安心と笑い(?)をお届けできるようなブログをUPしていきたいと思います。

 

最後になりましたが、懇親会に参加された皆さん、本当にありがとうございました!

そしてお疲れ様でした!

発表会

2012/03/03

今日はみんなが楽しみにしていた発表会本番!

朝から子ども達は大張り切りで登園してきました。

大勢の観客の方々が来園され、会場は熱気でいっぱいでしたね。

途中、あまりの熱気に、観客席が暑くなりすぎ、過ごしにくさを感じられた方も多くいたかと思いますが、ご勘弁ください・・・。

皆様方のご協力により、プログラムもスムーズに進み、滞りなく発表会を終えることができました。

改めて御礼申し上げます。

いろいろと至らない点も多くあったかと思いますが、今後とも子どものために一緒に保育していきましょう!

 

添付写真は、よちよち組の「とっとこハムたろう」の一場面。

以前、こちらのブログでチラっとお知らせしたとおり、あちよち担当のミラクル保育士(通称:とっきー)が背景の一場面に混じっていたのに皆さん気づかれましたか?(笑

正解は写真の通り!

コレ、気づくとすごく違和感あって若干気持ち悪かったですね・・・(笑

お目汚し失礼致しました!!!

 

最後になりましたが、本日の発表会、本当にお疲れ様でした!

 

時代

2012/03/02

昨日のリハーサルは、主に着替え部屋で子ども達と過ごしました。

出番でない子ども達は、みんな好きな遊びをして自分の出番を待ちました。

おままごとのコーナーで役割を決めて赤ちゃん人形のお世話をしている子ども達が、携帯電話のおもちゃを手にしていたんですが、ボタンを押すのではなく、画面をスライドさせたり、タップしたりしているんです!

世の中がスマホ時代になっている証です。

時代の流れと共に、子ども達の遊ぶおもちゃや言葉などに変化が見られますね。

特に、おままごとなどのごっこ遊びには、そういった時代の流れが顕著に現れます。

 

そういえば、若者の言葉遣いなどがよく問題視されますよね。

「今の若者は言葉遣いがなっていない!」と、年配の方々はよく仰います。

確かに、他人を傷つけるような暴言などは使うべきではないと思います。

ある言語学者が言っていましたが、「正しい日本語というのは、今の時代に使われている言葉」だそうです。

時代に合った言葉が、正しい日本語なのだそうです。

 

こういうふとした日常の保育の風景からも時代の流れを感じることができます。

10年後の保育室では、また違った風景がみられるのでしょうね。

 

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