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2012年 8月

大阪

2012/08/21

半年通しての講座のために、つきに1度大阪へ赴いているのですが、大阪と言えば粉物文化というイメージが強くあります。

たこ焼きやお好み焼きは、福岡でいうところのとんこつラーメンのような位置づけでしょうか。

特に、今回の会場がなんば駅周辺ですので、道頓堀が近くにあるためか、あちこちにたこ焼きやお好み焼きのお店が見られます。

どのお店も、気軽に入れる雰囲気で、一人でもさっと入ってサクサクっと食べれるところが何とも魅力的!!

あとはやはり、「言葉」の違いです。

いわゆる方言の「大阪弁」が、耳に心地よく、大阪弁を聞くと、大阪にいるんだなぁと感慨深くなっちゃいます。

先日、ホテルにチェックインする前に、地下道のお店でたこ焼きを1舟買ったのですが、そのときにお店のお兄さんが

「おおきにぃー」

と言われて感動!!!!

なかなかゆっくり時間を作れないのですが、残り4ヶ月で、大阪面白さがしでもしたいとコッソリ思っています。

当時の保育

2012/08/20

本当の保育と現実の保育とのギャップについて連日UPしていますが、私が勤め始めたときのうちの園も、ご他聞に漏れず・・・という状況でした。

園内での保育者同士の派閥や子どもを集団でしか見ない保育、「こうあるべきだ」というおとな主体の考え、勤務年数や経験が長いというだけで偉いとされる人間関係。

ただ、これはその当時の保育者が劣悪だったわけではなく、日本という国の保育がまったくもってダメダメだったというところにあると思っています。

それに加え、それらの保育者が受けてきた教育もダメダメだったことも大きな原因のひとつでもあります。

特に、私が育った次代は、赤ちゃんブームだとか謳われた時代で、子どもの数はとにかくたくさんいましたし、まだまだ戦前戦後の軍事教育を引きずっている時代でもあった上に、学歴社会でもあったので、ただ単に知識を植えつけるだけの教育でした。

「ひとりの人間」としての教育ではなく、「集団として動ける人間」を育てる教育を施されていたわけですから、それを当たり前に育ってきたおとなが、「ひとりの人間」を育てる教育を行えるわけないですよね。

おとな主導で動かす保育が、その当時では当たり前だったわけですね。

ですので、その当時の保育者は、真面目に取り組んでいたわけです。

ただ、過去10年で、保育も大きく変わり、厚生労働省の保育所保育指針では、「ひとりひとりの子ども」という文が、あちこちに明記されるようになりました。

そのことで、保育の見直しをしなければならなかったんですね。

ただ、保育を変えるか変えないかは、それぞれの運営主体に任されている部分が多く、要するに、その施設の施設長なり理事会なりが、保育を変えようと思わなければ、いつまでたってもそのままなんです。

いまだに、上から物を言って子どもを押さえつけたり、子どもを集団としてしか捉えないだとか、子どもを「何もわからない無知な生き物」だとか思っている園も、日本には数多くあるのが現実です。

これから保育者を目指す人や、若手の保育者さんは、そういうところにギャップを感じることと思います。

特に、保育者って、最初に勤めた園しか知らないということも多く、その園の保育に失望して保育者を諦める事もおおいんですね。

ですから、世の中には自分に合った園がどこかに絶対あるんだってことを覚えていてほしいと思います。

一つ目の園がダメだったからと、次に勤める園が同じとは限りません。

若手が夢を諦めるような園にだけはなりたくないものですね。

ギャップ

2012/08/19

私が園に勤めるようになって丸10年が経ちました。
元々はアパレルにいたので、保育のことはまったくの素人でのスタートでした。
園に勤めるようになって感じたことは、あまりにも閉塞的で優しいはずの保育者がいじわるだt」こと(笑
そしてなかにいる人たちにとっての常識が世間に常識からずれていたことです。
それに加え、まともに子どもひとりひとりを見ていないこと。
あまりにもびっくりすることの連続で軽くパニックになるくらいでしたね(笑

その当時の保育者にとっては、それが保育だったんですね。

幸い私は、園の保育の基礎を変えることができる職だったため、少しずつ子どもを主体にした本当の保育へ近づけるように動けましたが、新人さんや若手の保育者だったらどうでしょうか?

きっと保育士の夢を志半ばで諦めてしまう若者は当時の私と同じ気持ちなのだと思います。

保育実習

2012/08/18

保育者の慢性的な不足をもう少し掘り下げてみたいと思います。
都心部に限らず、全国的に課題となっているのが現状で、多くの学生は、様々な関係施設に実習に行った時に、心をおられてしまうようです。
養成校で習った保育と現場とのギャップがあまりにも大きく、また、そこで働く先輩保育者があまりにも楽しくなさそうだからです。
もちろん、何につけても理想と現実の間にギャップはあります。
ただ、そのギャップを乗り越えられるだけのものが見出だせないのです。
よく、最近の若者は…などといった言葉を聞きますが、この状況を若者の姿のせいにs=いているからこそ起こってしまった状況だと思うのですが…(笑

本当の課題は、若者にあるのではなく、ねじ曲がってしまった現場にあるのではないでしょうかね?

そこに気づかない限り、この課題はどんどん深刻化していくものだと思います。

保育者不足

2012/08/17

都心部では保育者の不足が慢性的な課題となっているようです。
この10年で保育士の不足は急激に進んだような気がします。
毎年。何万人もの保育士を希望する学生が養成校に入学するのですが、実際に保育士として職につく学生は数少なく、また、晴れて保育士として職に就いた人も年度途中で退職したり、数年で退職したりと、なかなか保育士として生きていくことを諦めてしまう人が大勢います。
これには、多くの理由があります。
まず、仕事の内容にたいしての処遇がよくないこと。
保護者の対応が大変であること。
勤務時間が長いこと。
責任が重いこと。
重要な仕事であるにも関わらず、社会的地位が低いこと。
職場内の人間関係が悪いところが多いこと。
新人いじめを行うところが多いこと。

いやぁ
こうやって条件を見てみると、私も働きたくないなぁ笑

ですが、一番の理由は、そこに夢とか希望を見いだせないことが一番の理由だと思いますね。
保育士として働くことそのものではなく、劣悪な職場が多すぎてうちひしがれてしまうんですね。
本当に不幸なことだと思います。

せっかく自分なりの思いを抱いて保育士になろうとする若者の芽を摘んでしまうんですから。

本当の保育は、とても楽しく色んな感動や人との繋がりを感じさせてくれる素敵な仕事なのに。

この深刻な状況を踏まえ、同じ保育理念を持つ全国の仲間や関係する養成校が協力して動き始めています。

少しでも多くの保育士を目指す若者が本当の保育に出会えますように!!

ことばの役割

2012/08/16

言葉は、人間だけが獲得したものです。

チンパンジーは、単語は獲得できても、それらを組み合わせて文章にすることはできません。

ですので、ことばを使って他者とコミュニケーションを取ることはできません。

人間が自在に操ることができることばの役割は、実は思う以上にたくさんあります。

他人とのコミュニケーションはもちろん、自らの思考、自分の行為・活動の調整、自己表現、自我の形成などなど、実に多岐にわたります。

わたしたちは、ことばを使って様々な人間活動を行っているわけです。

何かを考えるときも、行動するときも、自分という一人の人間を形成するときも、そこで使用する尾はことばなんですね。

立ち止まって、自分の行動を振り返ってみてください。

今日何をしたか思い出してみてください。

ことばを使って思い出そうとしていることが分かると思います。

自我の形成にも必要不可欠なことばですが、例えば、バイリンガルの子どもは、2つの言語をを自在に操りますが、どちらかの言語に優位性を持たせています。つまり、第1言語を自然に決めているわけです。

これがとても重要で、どちらの言語にも優位性を持たせずに、まったく同様に使用していると、自我の形成に悪影響を及ぼし、人格が分裂してしまうという報告があるそうです。

それほどまでに、私たちは、ことばを基本として生きているということですね。

 

 

おおかみこどもの雨と雪

2012/08/15

2日連続で映画を見に行き、2日目は「おおかみこどもの雨と雪」を見てきました。

CMでもご存知の通り、おおかみと人間のハーフである子ども達のお話です。

監督は、「時をかける少女」「サマーウォーズ」を代表作に持つ細田守氏で、原作も脚本も手がけています。

かわいらしいキャラクターは、「新世紀エヴァンゲリオン」でおなじみの貞本義行氏がデザインしています。

主人公であるふたりのおおかみこどもは、成長するにつれ、おおかみとして生きるのか、人間として生きるのかの選択を否応なしに迫られます。

その過程で、様々な葛藤をそれぞれが抱え、自分で自分の生きる道を決めていきます。

母親はそれぞれの子ども達が、どのように生きていくのか、それぞれが決めた道を、ただ見守ることしかできません。

設定は、確かに、おおかみと人間との恋、結婚、おおかみこどもの出産と、フェンタジーではありますが、その生き方は、現実と変わりないのではないかと思います。

現実世界で生きる私たちも、自分の人生を自分で決めて、自分で責任を取って、道を進んでいくしかありません。

自分の人生は、たとえ両親であっても、決定することはできません。

ですから、親は、その字の如く「立ち木の陰から見守る」ことしかできないのです。

そして、子ども達に必要なのは、自分の生きる道を自ら決定するために、生まれたときから「自分で選ぶ」ことなのではないでしょうか。

あやうく・・・

2012/08/14

今年のお盆は、妹の自宅でゆっくり過ごしました。

普段はできない「食べる→ゴロゴロする→ゲームする→寝る→食べる」といった食っちゃ寝生活を満喫していたわけなんですが・・・。

それは、お昼寝の時に起こりました。

1階のリビングの横に、4.5畳の和室があって、私と息子は、妹のところに行くと、そのお部屋を使わせてもらうんですね。

布団はもちろん敷きっぱなしにしてますから、いつでもゴロゴロすることができるわけです。

お昼ごはんを食べ終わってゴロゴロしながらDSで遊んでいた私は、いつのまにやら眠り込んでいたわけです。

すると、寝ている私が眩しくないようにとの配慮から、妹がリビングと和室との間の扉を半分占めてくれたようです。

が、

和室にエアコンないんです・・・。

扉閉められたら熱こもりまくりなんです・・・。

しかも閉めてるほうの扉にリビングのエアコンの風あたりまくって和室には一切入ってこないんです・・・。

息苦しさのあまりに目覚めた私は、あやうくもう少しで熱中症になってしまうところでした(笑

とりあえず、

起き抜けに妹に一通り文句つけて、エアコンの風がガンガンあたるソファの上に避難して、もう一眠りしました(笑

 

あー

苦しかったっ☆

マンガ

2012/08/13

子どもの頃から漫画が好きで、今でもいろんな漫画を読んでいます。

単行本を買うことも多く、発売されたら必ず購入しているのが、「NARUTO」「BLEACH」「ワンピース」「7SEEDS」「ビリーバット」「チェーザレ」「覇」「もやしもん」などなどジャンルを問わずに読んでいます。

息子が絵を描くことが好きなので、たまに、私も一緒に絵を描くことがあるのですが、想像力豊かな息子と違って、私は、模写専門なんですね。

大抵、息子や自分が好きな漫画のキャラクターを模写することが多いのですが、ほとんどの作者のキャラクターはそこそこ模写できます。

特に好きなキャラクターは、その分気持ちが入るせいでしょうか。

かなり上手に出来上がることもあります。

うちの妹は漫画家をお仕事にしているんですが、以前、私が描いた「サンジくん」をツイッターに掲載したところ、編集さんやファンの方々から「お姉さんも漫画家なんですか?」と言われるほど・・・(笑

そんな模写上手な私も、これまでに唯一描けなかったのが、妹が現在連載中の「テンペスト」のモグラ・・・・。

いいセンいくんですが、出来上がりはまったく違うんですよ・・・

なんであんな難しいかなぁ・・・

やっぱり、妹ということで、客観的な捉え方ができないのでしょうか・・・。

きっと、彼女の描き方は、漫画家さんの間でも独特なんでしょうね。

(と、模写に失敗した言い訳にしてみます(笑))

才能

2012/08/12

外に出れば、いろんなところで必ずと言っていいほど音楽が流れています。

場所によってジャンルは様々ですが、多くが、その時に流行っているポップスです。

最近は、日本のポップスだけでなく、韓国などのアジア圏の他の国のポップスもよく聴かれるようになってきました。

外で音楽を耳にするとき、その曲名もアーティスト名もわからないことがほとんどです。

ラジオなどと違って、紹介がありませんから。

ですが、わからなくても、歌声でどのアーティストか一発でわかる時があります。

日本で言えば、宇多田ヒカルさんやポルノグラフィティ、平井堅さん、氷室京介さんなど。

海外ですと、エミネムやレッチリあたりもそうですね。

普段と曲調が違っても、どのアーティストか分かってしまうというのは、その人たちの「歌声」は、他に類を見ない才能のひとつだと思います。

どうしても、そのジャンルごとに、似通った曲調になりがちですから、「歌声」が独特であるということは、流行する大きな要因のひとつでしょうから、アーティストにとっては、物凄い強みであるのではないでしょうか。

そう考えると、本当に才能のあるアーティストというのは、世の中にそんなに多くは存在しないのでしょうね。

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