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子どもエッセイ
2019年3月24日 日曜日

1553421128402毎年恒例、卒園式終了後の茶話会でのケーキです。飾りのクッキーまで手作りですから、もうたまりません。

年々、美味しさがパワーアップしていて、今年のスポンジもふんわりで美味しい出来でした!

保護者のみなさま、いかがでしたでしょうか?

堪能して頂けましたでしょうか?

式典では、今年度はたくさんの子どもたちが泣いていました。最初から泣き出す子、最後まで我慢して式終了後にウワっと泣き出す子、いつの間にか静かに涙を流している子、泣いてはいないけど複雑な表情でうつむいている子、短い時間の中で、いろんな表情を見せてくれました。

例年通り、私も証書渡しでもちろん泣いてしまったんですが、泣かないだろうと思っていた子が泣きながら証書の受け取りに来たものですから、言葉に詰まってしまいました・・・。

卒園式は毎年行うものですが、毎年、卒園していく子どもたちは違います。これからも、ひとりひとり違う人生を歩んでいきます。それぞれの子どもたちにとって、自分にとっての幸せが何かを模索し、その幸せを感じられるような人生を送ってほしいと心から願います。

 

まぁ、これは私の個人的なわがままですけども。

たまには顔を見せてくれるとうれしいなぁ~。

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カテゴリー: 子どもエッセイ
2019年2月18日 月曜日

引渡しからバタバタと引越しを終え(正確にはまだ全部の荷物を運びきっていませんが・・・)、今日から新園舎での生活が始まりました。

子どももおとなも大歓声をあげながら、あちこち見て回っています。

仮園舎が狭かったので、子どもたちは広い園舎でこれまでのストレスをたくさん発散してくれることと思います。

基本的な使い方は、旧園舎とは大きく変わりませんが、新たに子どもたちが楽しみながら発達できる遊具が入ります。

2階の保育室には、ボルダリングと吊り下げ遊具が設置予定です。

木登りできる木が園庭にないので、疑似的な木登りなどの経験がこれまでできませんでしたが、これでクリアできます。

また、揺れたりぶら下がったり、回ったり飛んだりなどの動きが経験できる遊具もこれから準備していく予定です。

まずはボールプールやトランポリンかなぁ~。

他にも、新園舎では、ちょっとした隠れ家的な場所や、落書きを思う存分できる場所などがあります。

予算の都合上、完璧な園舎はつくることができませんでしたが、限られた予算内でひ広い面積が取れたので、十分ですね。

これから少しずつ、園舎内の環境を整えていきたいと思います。

先ほど触れた体の動きですが、本来は普段の生活の中でクリアできていたものばかりです。

それが時代の趨勢によって、子ども集団がなくなり、子どもが外で集団で遊ぶことも減り、木登りや探検などは危ないからと禁止され、たくさんあった公園の遊具も事故があったことで撤去が続き、今では本来経験すべき、「発達の保障」のための遊びが経験できなくなっています。

事故があったから即禁止、危ないから即禁止、ではなく、危なくないように対処するというワンクッションがほしいものです。

なんでもかんでも禁止することで、結果的に未発達で偏った発達によって年を重ねてしまい、危険を回避する能力が身につかないまま・・・ということになってしまいます。

普段の生活で経験できない分、乳幼児期の施設の一つである私たち園の環境を整えていくことが大事なんだなぁ~と思う今日この頃です。

カテゴリー: 子どもエッセイ
2019年2月4日 月曜日

前回のブログで、「大人の再教育」が必要では?と書きましたが、誤解されがちですが、「大人側がダメな人間だ」ということではありません。

「知らない」「わからない」ことは、おとなであっても当たり前に存在します。

前回も触れましたが、おとなは当たり前だと思って育児をするわけですから、悪気があるわけではないことがほとんどです。

もちろん、虐待事件に関して、すべてがそうとは限らず、加害者側の大人の歪んだ性質などによって明らかな悪意をもって、我が子を「自分の所有物」として取り扱うことによるものもあるでしょう。

ただ、多くの虐待のほとんどが、逮捕されたり一時保護されたりした際に、「虐待だと思っていなかった」と答えることがほとんどとのことです。

育児においては、何が正しくて何が間違っているのか、その線引きは難しく、正しい育児方法があるわけではありません。

子どもはひとりひとり人格が違いますから、Aちゃんには有効でも、Bちゃんには逆効果、ということもよくある話です。

ですから、正しい正しくないの判断は、「その国の法律」と「人道的であるかないか」によってなされます。

日本は先進国であり、教育水準も生活水準も高い国です。

そういった国では、暴力や暴言による育児は「人道的」ではありませんし、何よりも、憲法や児童福祉法、子どもの権利条約によって、禁止されています。

ここに、実際のおとなの姿との乖離が見られます。

法的にはそうでも、現実社会では理解されていない、わけです。

そういった乖離は、いたるところで見られることですし、日本人は特にその曖昧さを好む傾向もあります。

しかし、それによって子どもの命が奪われていいわけではありません。

そこで、今回、新たに「保護者による体罰によるしつけの禁止」が明文化されることになりました。

「罰」が見えないと律することができない人間が多いということですね。

同時に、子どもへの考え方の理解が深まる第1歩でもあります。

世の中はとかく、発言権をもった人の意向で動きがちです。

おとなは発言権を持っていますから、世の中はおとなの都合によって動かされちきます。

子どもにも発言権はあります。同じ人間ですから。

子どもの発言がもっと重視される世の中になっていくといいなぁと個人的には思っていますが、やっぱり世の中の多くのおとなは、まだまだ「子どもにまかせたら何をするかわからない」といったさも自分が万能かのような勘違いが蔓延っていくんでしょうね。

万能なおとながいるのなら、1度でいいから会ってみたいものです。

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2019年1月30日 水曜日

年明けから、連日虐待による逮捕者のニュースが飛び交っています。

その内容は様々ですが、これまで見過ごされてきた(見逃されてきた、と言った方が正しいかもしれません)ことでも、保護者や家族がサクッと逮捕されています。

虐待と言えば、「身体的な虐待」のみが注目されがちですが、きょうだい間の明らかな差別や、子どもへの暴言や自信をなくすような頻繁な声掛けなどの心理的虐待も虐待とみなされます。

おとなからすると、「そんなことで?」と思われるかもしれませんが、それも仕方ないことかもしれませんね。

今の親世代が過ごしてきた時代では、「給食を無理やり食べさせられる」「悪いことをすれば叩かれる」などがごくごく当たり前に行われており、いうこと聞かない子どもは夜であっても外に出される、成績が悪いなどあれば「ダメ人間」扱いされ、こっぴどく暴言を吐かれる、などはよく聞く話でした。

そういったいわゆる叱咤激励(という名目のおとなの八つ当たり)で育ってきたおとなは、自身がそうやって育ってきてますから、自分もそういう育児をするものだと疑わずにいるのは理解できます。

特に純粋に自身の親世代を信じてきた方ほど、同じような方法による育児を行っていくでしょう。

しかし、時代は変わっています。

親世代が子どものころの時代と、今の時代ではいろいろなことが変わっています。

制度的にはどうでしょうか?

1994年に日本は子どもの権利条約に批准しています。

つまり、1994年の時点で、「子どもが一人の人間であること」などの子どもの権利が、国内でもしっかり保障されるべき事項となっていたわけです。

にもかかわらず、「子どもの権利条約」を知らない大人が多いこと多いこと。(ちなみに、平成28年度より児童福祉法でも明文化されています)

25年前にすでに制度的にはそうなっているにも関わらず、おとなは一体何をしてきたのでしょうか?

子どもの教育にようやく国を挙げて力を入れ始めたわけですが、子どもの教育はもちろんのこと、おとなの再教育も喫緊の課題であると感じます。

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2018年12月21日 金曜日

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毎年、クリスマスシーズンには、20時までの延長保育を利用する子どもたちのばんごはんが1日だけ豪華になります。

メニューは毎年決まっていて、“パセリごはん・タンシチュー・野菜たっぷりのタコのカルパッチョ・フライドチキン・いちごのホワイトドーム・シャンメリー”です。

今年はタンシチューが上出来で(20年以上、毎年作っているんですが、毎年なぜか出来不出来があるんです・・・)、作成者としても納得いく仕上がりになりました!

居残りの子どもたちもこの日を楽しみにしてくれていて、作り甲斐があります。

20時までというと、一般的にはかわいそうだと思われがちで、確かに居残りの子どもたちは遅くまで残ることに寂しさを感じる日もあります。でも、その感情をプラスにできることもあります。

「ごはんでつる!」(笑)

同じ時間を過ごすなら、「寂しさ」よりも「楽しさ」が上回ったほうが断然いいですよね。

毎日、居残りの子どもが「今日のばんごはん何?」と聞いてきます。

そこで生まれる会話で、居残りの時間が少しでも楽しいものに変わります。(特に子どもにとって好物のメニューの時は。)

そして、周囲の目は、「かわいそう」よりも「いいな~」に変わります。

そうすると、居残りの子どもたちはちょっと鼻高々になるわけです。

人はかわいそうと周囲に思われることで、「かわいそうな自分」を認識します。

これだけ価値観の多様性がある世の中で、何がかわいそうで何がかわいそうでないか、その基準も曖昧です。

結局は個人の価値観ですから。

「今日のばんごはん何?」という、何気ない日常の会話が、他の子どもたちにとっては羨ましく感じるものらしく、20時までの延長保育にあこがれる子どももいます。

ですので、年度末は、年長児さんに最後の思い出づくりの意味も込めて、20時までの延長保育を提案しています。

毎年度、ほとんどの子どもたちが最後の延長保育をわいわいきゃあきゃあしながら過ごしています。

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