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子どもエッセイ
2019年5月26日 日曜日

「次の時代を作るのは常にマイノリティ」

というのは誰の言葉でしたっけ・・・?(笑)

どなたの言葉かは思い出せませんが、この言葉は的を得ていますよね。

というのも、少数派の人たちは、多数派の人が気づいていないところに気づいているわけです。人間は「飽きる」生き物ですから、多数派で定着した物事に安定感を求めると共に、飽きてもきます。飽きると、「ほかに何かないかなぁ~」となり、それまでは少数派だった物事に目が向きやすくなるんですね。

また、ビジネスの世界ではよく言われることですが、「誰も気づいていない、やりたがっていないことにこそ、次のビジネスチャンスがある」ということ。

特に現代は、情報過多の世の中ですから、いろいろなチャンスを手に入れやすい世の中ではないかと思います。半面、サイクルが早いので、人間が飽きるスピードも速くなってはいますが・・・。

次はどんなビジネスが生まれてくるのでしょうか。

昔のように、大きなくくりでしかなかった「仕事」が、今は本当に細分化されていて、個人事業主も増えています。また、以前はなかった「仕事」も生まれています。

例えば、今では当たり前にほとんどの人が持っているスマートフォンですが、これも以前はなかったものです。スマートフォンの販売店や修理などに従事する仕事は、以前はなかった仕事ですね。

他にも、食に関してはどうでしょうか。

以前は、アレルギー食品はほぼありませんでした。今では、アレルギー食品のみを扱う会社も存在しますし、使用食材に関しては、ほとんどの製品で表示されていますね。あの使用食材を算出する仕事も以前はなかったものです。

以前は、アレルギーを持つ人も、個別のデバイスを持つ人も少数派でしたが、見事にその少数派をターゲットにしたビジネスが生まれています。

今後の時代は予測不能な時代へ突入したと言われていますが、予測できないからこそ面白さもありますね。

このように、次にどういう物事が起こるのか、流行るのか、などは、既存の者では測れないところがあります。

近年は、公立の小中学校における通級利用児童や不登校児の数が右肩上がりで増えています。今の時点ではまだ少数派ですが、この右肩上がりは衰えを見せません。

今後、この少数派といわれる子どもたちが、次の時代を作っていく可能性は高いのではないかと思います。

また、今は少数派ですが、年々増加傾向にあるわけですから、半数以上になった時点で、それまで少数派だったものが多数派に変わることもあり得ます。

いずれにせよ、先のことはわからないので、これからどう変わっていくのかを楽しみにしたいと思います。

 

 

 

 

 

カテゴリー: 子どもエッセイ
2019年4月25日 木曜日

新園舎となり、環境の見直しと設定をちまちまと行っています。

環境と一口で言っても、多岐にわたっていて、保育における環境設定は多くの専門性が必要になってきます。

保育室の広さはどうか。

音環境はどうか。

二酸化炭素の濃度はどうか。

照度や日当たりはどうか。

遊びにおける場所の設定はどうか。

遊びの内容はどうか。

子どもたちの活動においての動線はどうか。

静かに過ごしたり昼寝をしたりする環境はどうか。

保護者が入りやすい玄関かどうか。

保護者がゆっくりできるスペースはどうか。

保育者の動きやすい動線かどうか。

保育者が働きやすい空間かどうか。

・・・・・・などなど。

 

挙げるときりがありません。

それらの環境を整えるために、新園舎の設計から定期的な工程会議を経て、今の園舎が出来上がって日々すごしているわけです。

危険な箇所の排除はもちろんですが、危ないからと言ってなんでもかんでも排除してしまって、子どもたちの先々を見通した環境まで排除してしまうのは保育ではなくなってしまいます。

それぞれの子どもたちにとって、その子なり道を生きていくために、乳幼児期に経験するべきことを、園の環境に詰め込んでいかないといけません。

そのために、私たち保育者は、日ごろから環境の重要性を意識して、様々な視点から環境を考えています。

空間一つにしても、どこに何を置くかで、子どもたちの動きが変わってきます。どの空間をどういう場所にするかでも大きく変わってきます。

「こうすればうまくいく」といったマニュアルはなく、目の前の子どもたちの発達状況に応じて、あれこれと変えていかなければならないのですが、これがまた楽しいんです。

子どもたちからの提案に助けられるときもたくさんあります。

実際にあそんだり生活するのは子どもたちですから、子どもたちからの提案に沿う方がよっぽど効率的なときもあります。

おもちゃひとつにしても、子どもの様子が変わる時もあります。

答えはひとつではなく、その答えすらないのが保育です。

だからこそ面白くてやめられない魅力があるんでしょうね。

 

カテゴリー: 子どもエッセイ
2019年3月24日 日曜日

1553421128402毎年恒例、卒園式終了後の茶話会でのケーキです。飾りのクッキーまで手作りですから、もうたまりません。

年々、美味しさがパワーアップしていて、今年のスポンジもふんわりで美味しい出来でした!

保護者のみなさま、いかがでしたでしょうか?

堪能して頂けましたでしょうか?

式典では、今年度はたくさんの子どもたちが泣いていました。最初から泣き出す子、最後まで我慢して式終了後にウワっと泣き出す子、いつの間にか静かに涙を流している子、泣いてはいないけど複雑な表情でうつむいている子、短い時間の中で、いろんな表情を見せてくれました。

例年通り、私も証書渡しでもちろん泣いてしまったんですが、泣かないだろうと思っていた子が泣きながら証書の受け取りに来たものですから、言葉に詰まってしまいました・・・。

卒園式は毎年行うものですが、毎年、卒園していく子どもたちは違います。これからも、ひとりひとり違う人生を歩んでいきます。それぞれの子どもたちにとって、自分にとっての幸せが何かを模索し、その幸せを感じられるような人生を送ってほしいと心から願います。

 

まぁ、これは私の個人的なわがままですけども。

たまには顔を見せてくれるとうれしいなぁ~。

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カテゴリー: 子どもエッセイ
2019年2月18日 月曜日

引渡しからバタバタと引越しを終え(正確にはまだ全部の荷物を運びきっていませんが・・・)、今日から新園舎での生活が始まりました。

子どももおとなも大歓声をあげながら、あちこち見て回っています。

仮園舎が狭かったので、子どもたちは広い園舎でこれまでのストレスをたくさん発散してくれることと思います。

基本的な使い方は、旧園舎とは大きく変わりませんが、新たに子どもたちが楽しみながら発達できる遊具が入ります。

2階の保育室には、ボルダリングと吊り下げ遊具が設置予定です。

木登りできる木が園庭にないので、疑似的な木登りなどの経験がこれまでできませんでしたが、これでクリアできます。

また、揺れたりぶら下がったり、回ったり飛んだりなどの動きが経験できる遊具もこれから準備していく予定です。

まずはボールプールやトランポリンかなぁ~。

他にも、新園舎では、ちょっとした隠れ家的な場所や、落書きを思う存分できる場所などがあります。

予算の都合上、完璧な園舎はつくることができませんでしたが、限られた予算内でひ広い面積が取れたので、十分ですね。

これから少しずつ、園舎内の環境を整えていきたいと思います。

先ほど触れた体の動きですが、本来は普段の生活の中でクリアできていたものばかりです。

それが時代の趨勢によって、子ども集団がなくなり、子どもが外で集団で遊ぶことも減り、木登りや探検などは危ないからと禁止され、たくさんあった公園の遊具も事故があったことで撤去が続き、今では本来経験すべき、「発達の保障」のための遊びが経験できなくなっています。

事故があったから即禁止、危ないから即禁止、ではなく、危なくないように対処するというワンクッションがほしいものです。

なんでもかんでも禁止することで、結果的に未発達で偏った発達によって年を重ねてしまい、危険を回避する能力が身につかないまま・・・ということになってしまいます。

普段の生活で経験できない分、乳幼児期の施設の一つである私たち園の環境を整えていくことが大事なんだなぁ~と思う今日この頃です。

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2019年2月4日 月曜日

前回のブログで、「大人の再教育」が必要では?と書きましたが、誤解されがちですが、「大人側がダメな人間だ」ということではありません。

「知らない」「わからない」ことは、おとなであっても当たり前に存在します。

前回も触れましたが、おとなは当たり前だと思って育児をするわけですから、悪気があるわけではないことがほとんどです。

もちろん、虐待事件に関して、すべてがそうとは限らず、加害者側の大人の歪んだ性質などによって明らかな悪意をもって、我が子を「自分の所有物」として取り扱うことによるものもあるでしょう。

ただ、多くの虐待のほとんどが、逮捕されたり一時保護されたりした際に、「虐待だと思っていなかった」と答えることがほとんどとのことです。

育児においては、何が正しくて何が間違っているのか、その線引きは難しく、正しい育児方法があるわけではありません。

子どもはひとりひとり人格が違いますから、Aちゃんには有効でも、Bちゃんには逆効果、ということもよくある話です。

ですから、正しい正しくないの判断は、「その国の法律」と「人道的であるかないか」によってなされます。

日本は先進国であり、教育水準も生活水準も高い国です。

そういった国では、暴力や暴言による育児は「人道的」ではありませんし、何よりも、憲法や児童福祉法、子どもの権利条約によって、禁止されています。

ここに、実際のおとなの姿との乖離が見られます。

法的にはそうでも、現実社会では理解されていない、わけです。

そういった乖離は、いたるところで見られることですし、日本人は特にその曖昧さを好む傾向もあります。

しかし、それによって子どもの命が奪われていいわけではありません。

そこで、今回、新たに「保護者による体罰によるしつけの禁止」が明文化されることになりました。

「罰」が見えないと律することができない人間が多いということですね。

同時に、子どもへの考え方の理解が深まる第1歩でもあります。

世の中はとかく、発言権をもった人の意向で動きがちです。

おとなは発言権を持っていますから、世の中はおとなの都合によって動かされちきます。

子どもにも発言権はあります。同じ人間ですから。

子どもの発言がもっと重視される世の中になっていくといいなぁと個人的には思っていますが、やっぱり世の中の多くのおとなは、まだまだ「子どもにまかせたら何をするかわからない」といったさも自分が万能かのような勘違いが蔓延っていくんでしょうね。

万能なおとながいるのなら、1度でいいから会ってみたいものです。

カテゴリー: 子どもエッセイ
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